打撃の神様こと川上哲治!

2017年1月5日 at 12:00 PM

熊本県のスポーツ選手で有名な方といえばなんと言っても川上哲治選手。

読売巨人軍の日本シリーズ9連覇に導いた名将ですね!

川上哲治選手は現在の人吉市生まれで熊本工業高校出身。

実は熊本工業を一旦中退し、済々黌高校、人吉高校にも通っていたという事実はあまり知られていません。

甲子園にも出場し、甲子園の土を最初に持ち帰った高校球児として有名です。

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出展:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E5%93%B2%E6%B2%BB

川上哲治

高校卒業後は読売巨人軍に投手として入団し、野手転向後は2000本安打を達成するなど、打撃の神様と言われました。ボールが止まって見えたという名言は有名な話です。

打撃では超一流の実力を示したが、守備に関しては「捕れないものは最初から捕りに行かない」という傲慢な態度をとっており、チームメイトからは不評を買っていたともいわれています。当時のチームメイトで二塁手を務めていた千葉茂選手は、「一塁のすぐ横のゴロまでワシが取らなきゃならなかった」、「ほんのちょっと送球が高いと、川上はもう背中を向けているんよ。『これは捕れない』と悪送球を拾いに行くのさ。ジャンプして捕ろうという気がないんだね」と発言しています。遊撃手だった広岡達朗も川上の守備について何度となく苦言を呈していたそうです。

伝説の大投手であった沢村栄治,ヴィクトル・スタルヒンとも現役時代はチームメイトで、生で見ていた人物は、チームメイトであった川上がほぼ最後でした。沢村、スタルヒンは共に剛速球投手として知られており、現在でもそのスピードについて議論されることが多いですが、良く議論の的になるのは沢村の方です。千葉選手と川上選手は共に「スタルヒンのほうが球は速かった、160km/h出ていたはずだ」という共通した見解を示しています。さらに川上選手は、「スタルヒンの横で投げると、自分の方が球が遅く見えるので、スタルヒンと一緒に投球練習するのを沢村は嫌がっていた」と証言しているほどです。ただし川上も千葉も入団は1938年であり、沢村の徴兵(1938年)前の全盛期時代(1936〜37年)の球を選手の立場として見てはいないという点は注意が必要ですね。

引退後は監督として、ON砲こと王貞治、長嶋茂雄を筆頭に優秀な選手にも恵まれ、日本シリーズ9連覇を達成。

監督を退いた後も解説などで活躍され、2013年10月28日に逝去。

熊本県からは多くのプロ野球選手が輩出されていますが、川上選手はそのパイオニアと言っても過言ではありませんでした!

現在人吉市には、川上哲治記念球場があるなど、熊本県民にとっては忘れられない伝説のプロ野球選手です。

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