日本最初のオリンピックメダリストは大牟田出身だった!

2017年1月21日 at 11:20 AM

4年に一度のオリンピック。

毎回メダルをいくつ取れるかで非常に盛り上がります。

では、日本で最初にメダルを獲得した選手についてはご存知でしょうか?

実は福岡県大牟田市出身の選手なのです。

その名も熊谷一弥選手!(テニス選手)

1890年9月10日生まれ

福岡県の現伝習館高校に入学後、宮崎県の宮崎大宮高等学校へ転校しました。

そもそもテニスが日本に持ち込まれたのは1876年に横浜の外国人居留者の間で始められたのがキッカケです。
1879年、明治政府はテニスを日本の体育に取り入れようと、文部省の体育伝習所にアメリカから教師を招きます。この体育伝習所は、のちに高等師範学校に併合され、その卒業生が中学校教師として全国に赴任したことで、テニスは普及していきました。
ここでいう外国から伝えられたテニスとは、「硬式」のことで、国内に普及したテニスとは、「軟式(ソフトテニス)」のことです。当時、硬式のボールの国産が難しく、また輸入品も高価であったため、比較的安価であったゴムボールを代用したテニス「軟式」が考え出され、人気スポーツとなっていき、「硬式」は、一部の人の間だけで続けられていました。

熊谷選手がテニスに出会ったのは、8歳の夏でした。夕方になると、三井物産の社員が小学校の運動場にテニスをするために通ってきました。
興味を覚えた熊谷選手も毎日テニス見物に通うことになります。(プレイはしていないそう)。三井財閥が明治政府から三池炭鉱を買い取り払い下げられたのは1889年で、三池炭鉱がなければ、この出会いもありませんでした。
テニスとの2度目の出会いはそれから4年後、小学校に進んだ年でした。
教師用に軟式テニス道具一式が届き、先生たちよる放課後のテニス練習が始まりました。ある日、練習中の先生が、通りがかった熊谷選手に球拾いの手伝いを頼みます。熊谷は、ただ拾うのはつまらないと、初めてラケットを握り、初めてテニスをやったそうです。

本格的にテニスを始めたのは1910年に慶應義塾大学へ入学しテニス部員となってからだそうです。

慶應義塾大学を卒業後、三菱東京UFJ銀行の前身となった企業に勤務し、アメリカ駐在も経験しました。

1918年には全米オープンでベスト4となるなど、テニス全米ランキング3位,世界ランキング7位となりました。

そして迎えた1920年のアントワープオリンピックでは、シングルス・ダブルスの双方で銀メダルを獲得し、日本人初のオリンピックメダリストになりました。(この時のダブルスペアは柏尾 誠一郎選手)

1968年8月16日に、大牟田市で77年の生涯を終えられました。
その後、松岡修造選手が登場し、今では錦織圭選手という日本人最高のテニスプレイヤーが登場し、ここまで世界で活躍したテニス選手がいるのか?という企画で熊谷選手が登場することもあります。

錦織圭選手は2016年のリオデジャネイロオリンピックで銅メダルを獲得し、熊谷選手以来96年ぶりのメダル獲得となりました。

これからも日本人選手がオリンピックで活躍し、メダルを獲得していきますが、初代はいつまでも語り継がれるのではないでしょうか。